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1926年8月 |
東京都荒川区尾久町にて、戸次 創が油脂研磨剤(バフ研磨剤)の製造を始める。 |
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1934年12月 |
資本金100万円 株式会社光陽社に改組、工場を東京都足立区小台に移す。 |
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1944年3月 |
資本金250万円増資。ドイツのケービッヒ製作所から輸入した最新鋭塗装装置が稼働したのもこの頃で、高速輪転塗装機5基を設置し、ギリシャのナキサスエメリー原鉱石粉砕に始まる一貫工程は圧巻を極める。 |
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1945年4月 |
東京大空襲によって全施設を焼失(異国第534工場)、直ちに復元に着手 |
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1946年3月 |
個人光陽社として油脂性研磨剤の製造を再開 |
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1949年12月 |
研磨布紙及び附帯事業を分離し、光陽研磨材株式会社(資本金800万円)を新設。ようやく戦前の近い状態に復元を完了する。 |
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1954年6月 |
JIS規格表示許可工場の指定を受ける。 |
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1957年9月 |
我が国で最初の非油脂研磨剤「サティナー」を開発。つや消し研磨剤として洋食器分野を始め広く一般に歓迎される。 |
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1958年5月 |
我が国で最初の耐水研磨布ベルト「WET3S」を開発、市販を開始する。当社製耐水ベルト研磨機とともに特にガラス加工分野に先駆者としの役割を果たす。 |
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1960年4月 |
我が国で最初の液状バフ研磨剤を開発、市販を開始する。当社製噴射装置とともに広くゆきわたる。 |
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1963年10月 |
研磨材料研究所を設立 研究部門の新製品開発に重点を注ぎ、技術革新の期待に応える体制をとる。 |
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1963年11月 |
「工業標準化と品質管理実施優良工場」として、同業者にさきがけて東京通商産業局長賞を授与される。 |
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1964年5月 |
重研削用乾式レジボン研磨ベルト「SAKタイプ」を開発、市販を始める。 |
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1966年4月 |
外資法認第5025号を以て米国アメリカンバフカンパニーとの間に技術援助契約締結の許可を受ける。 |
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1966年9月 |
第3工場竣工、新種バフ製造装置及び耐水網目研磨布(ポリネット)製造装置を設置する。 |
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1967年12月 |
日本特許221853号による新製品、耐水網目研磨布(ポリネット)及び切断研削網目ディスク(カッタネット)の市販を開始する。 |
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1968年9月 |
経営面の近代化、合理化のため9月1日光陽社を光陽研磨材株式会社に併合し、9月10日新社名を株式会社光陽社と改める。 |
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1969年4月 |
重研削用研磨布工場竣工、大型製造装置を設置する。 |
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1970年5月 |
スイスSIA社と業務提携、耐水編目研磨布を欧州一円に輸出開始 |
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1971年6月 |
輸出貢献企業として通商産業省より表彰を受ける。 |
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1972年4月 |
創業者 戸次 創、産業功労者(化学工業関係)として勲五等雙光旭日賞を授与される。 |
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1974年4月 |
光陽社ビル竣工 営業部移転並びに業務開始 |
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1978年4月 |
研磨つや出しクロス“ポリマール”を開発、市販を始める。 |
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1981年5月 |
戸次 弘、代表取締役社長に就任する。福島県西白河郡大信村に工業用地(54,000u)を取得する。 |
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1990年1月 |
白河事業所を開設 小台第2工場を移転し、バフ研磨剤の製造を始める。 |
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1993年3月 |
白河事業所への第2次移転を完了 小台第1工場及び第3工場の一部を移転し、研磨布、バフの製造を始める。 |
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1996年4月 |
ダイヤモンド砥粒網目研磨布「ダイヤネット」を開発、市販を始める。 |
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2000年6月 |
本社・研究所を福島県西白河郡大信村に移転する。 |
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2001年5月 |
由比 俊彦、代表取締役社長に就任する。 |
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2002年10月 |
小台第3工場を白河に全面移転しポリネット、ポリテックス及びポリマールの製造を始める。 |
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2002年11月 |
環境に配慮したフラップホイール“MZホイール” を開発し販売 |
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2005年11月 |
大信村と白河市合併により本社・研究所の住所表示が白河市に変更になる。 |
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2009年5月 |
山ア 一男、代表取締役社長に就任する。 |
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2011年3月 |
東日本大震災によって白河本社工場が、1週間操業休止となる。 |
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2012年8月 |
光陽社ビル(日暮里) 耐震基準適合証明書取得 |
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